石井祐澄和尚 遷化に関する特設ページ

令和3年6月20日に遷化した石井祐澄和尚を偲び、遷化から密葬に至るまでの写真を、紹介いたします。石井祐澄和尚の最期が、一人でも多くの人に伝われば、本当に幸いです。

円福寺住職 石井祐晃

病室での様子

4月29日、県指定重要無形民俗文化財「箱崎獅子舞」が福厳寺で奉納された際、祐澄和尚は、張り切って法話をするほど、元気でした。しかし、その後、急に体調を崩し、39度を超える熱を出して5月1日に、北福島医療センターに入院しました。

症状は肺炎です。肺に水が溜まっており、胸水を抜く処置をしました。また、痰もひどく、痰の吸引も繰り返し行いました。

6月19日、危篤状態になったため、輸血が開始されました。東京からようやく帰宅できた2人の孫も、病院に駆けつけました。輸血により容体は一時安定したものの、その翌日、祐澄和尚は、静かに旅立ちました。享年91歳でした。

亡骸が福厳寺へ移されると、多くの方々から頂いた枕花に飾られ、華やかな枕元となりました。

プロの納棺師による納棺と梵字がしたためられた棺

納棺は、6月23日に行いました。納棺師は、東京で何年も修行を重ねたというプロの方に来ていただきました。厳かでありながら温かい雰囲気の中、丁寧に死装束を着付け、棺の中へと納めました。

棺には青木亮敬先生によって、梵字がしたためられました。四方に四仏の梵字が、棺の蓋と底には、大日如来の種子を書いていただきました。さらに、光明破地獄曼荼羅を奉納いただきました。

上品で落ち着きのある梵字を拝見し、取っておきたい気持ちは山々でしたが「荼毘に伏すときに一緒に燃やして欲しい」との申し出を受けましたので、荼毘の際に棺の中へと入れさせていただきました。仏のご加護によって、祐澄和尚は、安らかに旅立つことができました。

納棺に際しては、福厳寺の祐聖住職が日頃から加持している土砂を、本人自らの手によって棺におさめました。ここだけの話、父は祐澄和尚が遷化してから一度も泣くことなく準備を進めていましたが、この時、初めて涙を流しました。僧侶としてできる限りのことを尽くし、真言宗の伝統に忠実にしたがって行うことができた納棺の儀。またとない機会になりました。

葬儀に向けて

今回は、保原町にある生花店「花茂里」さんに、生花祭壇を設置していただきました。ベテランで経験豊かなご夫婦と、東京で修行して受賞の実績もある息子さんの力も借りて、創意工夫が施された躍動感あふれる祭壇となりました。

生花祭壇の正面は、蓮の花をイメージしてデザインされたそうです。空間の使い方や花の見せ方など、細かな工夫が随所に見られ、その確固たる力量が推察されます。

祐澄和尚遷化の報せを受け、多方面より供花をいただきました。納棺前までは枕花として、納棺後は本堂の一角に供えさせていただき、空間がより一層華やいだものとなりました。

通夜

通夜は6月28日、密葬は6月29日に執り行われました。密を防ぐため、13時〜16時までを一般参列の時間とし、通夜は親族および関係者のみの参列とさせていただきました。

また、新型コロナウイルス感染防止策として、境内のテントにて検温と消毒、換気の徹底、混雑緩和の上で、焼香を賜りました。快晴に恵まれたこともあり、多くの方に御参列いただきました。

本堂の焼香箱の近くには、遺影とともに祐澄和尚直筆の弔句と、大切にしていた言葉を並べることで、祐澄和尚らしさが漂う雰囲気の中でご焼香を賜ることができました。ちなみに、言葉に添えられた「大素」とは、祐澄和尚の雅号です。

 

通夜の導師は、福厳寺や円福寺の本寺にあたる長谷寺の平林寛成ご住職です。祐澄和尚はかねてより、「長谷寺の平林住職に導師をお願いしたい」と述べておりました。希望通りに葬儀を執り行うことができたこと、遺族として大変嬉しく思います。

通夜および密葬の会奉行は横田昌典さま、司会は横田弘明さまです。職衆は福島一号支所の近隣寺院様にお手伝いいただきました。

ご多忙の中、役員や御詠歌講、重役の皆様方に参列いただきました。コロナ禍において制限はありましたが、御参列いただけたこと誠に感謝申し上げます。

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通夜をしめくくるにあたり、祐澄和尚の息子であり、福厳寺現住職の石井祐聖が謝辞を述べました。通夜終了後には、大勢の方々が棺に集まり、お別れを偲ぶ姿も見られました。

密葬

雨模様というあいにくの天気でしたが、役員のみなさん、葬儀社のスタッフの方々が積極的に動いてくださったことで、式を滞りなく進めることができました。お力添えが無かったらと想像すると、背筋に寒気が走ります。お足元が悪い中、参列のために足を運んでいただき、本当にありがたい限りです。

密葬の導師は、真言宗豊山派福島県第一号宗務支所の支所長でいらっしゃいます、満蔵寺の阿部有恒住職に、お勤めいただきました。このたび賜った嘆徳文は壮麗かつ繊細に想いが綴られており、込められた真心をひしひしと感じました。

式終盤には、祐聖が改めて挨拶をいたしました。祐澄和尚から贈られた言葉や、生前よく口にしていた句に触れ、その優しい人柄がより深く心に刻まれる時間だったと思います。

荘厳な雰囲気のもと、式は滞りなく終了いたしました。中央に移動された棺に集まり、参列者で花を手向けた後、霊柩車へと棺を運び、火葬場へと向かいました。

余談ではありますが、霊柩車まで棺を運ぶ際、通夜で導師をしていただいた平林住職が、雨の中で傘を持たずに手を合わせ、ひたすら真言を唱えてくださいました。濡れることよりも祖父を弔う気持ちを第一にしてくださったのだと思います。その一心不乱の姿が、心に強く響きました。

荼毘と戻り看経

荼毘と拾骨は、近親者と福厳寺の総代のみで執り行いましたが、導師の阿部有恒住職が時間を割いてくださり、わざわざ拾骨まで残ってくださいました。終始にわたって丁寧な御供養をいただき、ご厚情に心から感謝申し上げます。

拾骨を終えて福厳寺に戻ると、骨箱を袈裟でくるんだのち、位牌堂にて戻り看経を執り行いました。

戻り看経終了後、立礼にてお見送りいたしました。これをもって、通夜・密葬の全行程が終了いたしました。福厳寺役員の皆様には、ご多忙のなか参列いただきました。また、コロナ禍での葬儀となり、どう動いていいか不安になる檀信徒に対して迅速に連絡をしていただいたことで、多くの方に参列していただくことが叶いました。厚く御礼申し上げます。

祖父が亡くなったその瞬間から、目まぐるしく慌ただしい10日間が始まりました。たくさんの仏具や備品を飾り、さまざまな人と葬儀の打ち合わせを繰り返し行い、関係各所と綿密に連絡を取るなど、身内だけではとても手に負えない作業量。お寺ならではの仕事の多さに、投げ出したい気分にさえなってしまいました。

そんな中、猛暑にもめげずに重い荷物を運んで式場を設営し、さらに、葬儀の課題を緻密に拾い上げ、それらをあらかじめ対処し、葬儀中も黒子に徹して手伝っていただいた葬儀社のスタッフの方々には、感謝してもしきれません。ただただ、頭が下がるばかりでした。

実は、密葬が始まる15分前、不意に天蓋の紐が切れ、吊っていた飾り物が落ちてくる、というアクシデントがありました。報せを聞いてすぐ向かったところ、落下したものは片付けられ、落ちてこないよう紐が結び直されており、なんとすでに事態は収拾されていました。言うまでもなく、葬儀社スタッフの方々です。所要時間、2分。まさにプロでした。

何事もなく式を終え、コロナ禍の制限がある中で多くの人に見送っていただき、さらに遺族として故人を偲ぶ時間ができたのは、福厳寺役員様やスタッフさんをはじめ、皆様のご協力があってこそです。改めて、ここに感謝申し上げます。

最後に

四十九日の法要は、福厳寺住職である祐聖が福厳寺で、円福寺住職である祐晃が円福寺で、それぞれ増進仏果の修法をいたしました。遺骨は現在、福厳寺本堂の一角に安置されており、福厳寺にいらっしゃった方から香をたむけていただいております。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

こちらのページを作成した第一の理由は、初めに書いた通り、より深く故人を偲ぶためです。そして、第二の理由は、多くの人の協力によって成り立っていることを知っていただきたいからです。

ここまでご覧いただいた通り、コロナ禍での制限がある中で、出来る限りの葬儀を執り行うことができました。これは石井家だけでは到底なし得なかったことです。

檀家対応していただいた福厳寺役員様、準備から片付けまで常に動いてくださった葬儀社スタッフの方々、花や香を手向けて冥福を祈ってくださった檀家や関係者の方々、壮麗な生花祭壇を用意していただいた花茂里様。精神的な支えとなった親族の方々。皆様のお力添えがあって、ようやく実現できたことです。どの方向に足を向けて眠ればいいかも分からないほど、たくさんの方に協力していただきました。

これもまた、石井祐澄和尚が繋いだ縁によって実現したことです。全ての方々に深く感謝申し上げると共に、良き縁を結んだ祐澄和尚の冥福を、御祈念いただければ幸いです。

お読みいただき、ありがとうございました。